2008年05月16日

5月16日 本日のお名前

今日は
「ニカラーイ(ニコライ)、パーヴェル、ピョートル、テイモフェイ、マウラ、フェオドシーの日」です。
Николай  Павел Петр  Тимофей  Мавра Феодосий 

カトリック教徒のためにアンドレイ; Андрей ヴェンチスラフ;Венчислав 
シモン;Симонを載せているカレンダリオもあります。

ロシア正教会では
「聖致命者誦経者ティモフェイ及び妻マウラ (286年の頃エギペトにて逝世)」
「ペチェルスクの修院長克肖フェオドシイ 
克肖アントニイ 門弟にしてストゥデイ修院の定規に循て修道規則を編成せしアントニイと共にロシア修道院の創業者と称せらるる (1074年逝世)」の記憶日です。

Мчч. Тимофея и Мавры (ок. 286).
ティモフェィ・マウラ夫妻は初期のキリスト教の殉教者です。エギプトってのはエジプトのことです。
Прп. Феодосия, игумена Киево-Печерского (1074).
Икон Божией Матери: Успения Киево-Печерской, принесенной из Константинополя (1073),
Печерской (с предстоящими Антонием и Феодосием Печерскими) (1085) и Свенской-Печерской (1288).
ペチェルスクというのは、キエフにあるペチェルスカヤ修道院のことで、ソフィア大聖堂とともにウクライナの世界遺産です。
 ;聖ソフィア大聖堂はヤロスラフ賢公によって1037年に立てられた聖堂。(ヤロスラフ賢公はキエフ大公として始めてギリシア正教に帰依し、この地にキリスト教を広めたウラジーミル1世の息子。ロシア正教会の成立に大きく貢献した人物)聖堂はモザイク画やフレスコ画で装飾された内部の美しさはもとより、ロシア正教成立に果たした役割の大きさなど美術的にも歴史的にも大変重要な建築物。
ペチェルスカヤ大修道院は11世紀中ごろ修道士の一団がこの地で修行を始めたことを起源とする修道院で、重要な資料が多く残されている。

ほかにニカラーイ、ピョートルなどが関連しています。
Сщмч. Николая пресвитера (1941).
Прп. Петра чудотворца, еп. Аргосского (X).




@ニカラーイ;Николай(ニコライ)
意味:победитель народов「勝利した人々」「民の勝利者」
4月17日の記事参照
 


Aパーヴェル;Павел
意味:Маленький「小さい」
4月19日の記事参照
 


Bピョートル;Петр
意味:Утес「絶壁」「懸崖」 каменная глыба「大きな岩」
4月6日の記事参照
 



Cティモフェィ;Тимофей
愛称:ティモフェーイカ;Тимофейка, ティモーハ;Тимоха,
ティモーシャ;Тимоша, ティモーニャ;Тимоня, ティモーシヤ;Тимося,
ティムーニャ;Тимуня, チューニャ;Тюня, ティーマ;Тима,
ティマーニャ;Тиманя, ティマーハ;Тимаха, ティマーシャ;Тимаша,
チョーマ;Тёма
意味:Бога почитающий「神への尊敬」「神を敬う」
起源:ギリシャ語 ティモフェウスから
グループ:ギリシャ正教系
その他:英語圏のティム;Тим. ティモテ;Тимотиなど



Dマウラ;Мавра
意味:тёмная「温かい」
起源:ギリシャ語
グループ:ギリシャ正教系


Eフェオドシー;Феодосий 
口語形:フェドース;Федос, フェドシー;Федосий,フェドセイ;Федосей;
愛称:フェドーシヤ;Федося, フェーデャ;Федя, フェーシヤ;Феся,
フェーシャ;Феша, ドーシヤ;Дося, フェドセーイカ;Федосейка
意味:Богом данный神に与えられた」
起源:ギリシャ語
グループ:ギリシャ正教系
その他:フョードル;Божий дар 「神の賜物」「神の恵み」・4月17日の記事参照。


スロヴァキアでは
「Svetozarの日」


ハンガリーでは
「モーゼシュ;Mózes(モーセ), ボトンド;Botondの日」
文字どおり、あのモーセです。


スウェーデンでは
「Hilma 、Hilmerの日」

フィンランドでは
「Essi(女性名)、エステル;Ester(女性名)の日」


カトリック教会では
「ネポムクの聖ヨハネ司祭(1330年ごろ-1393年)の日」
 
南ボヘミアのネポムク生まれ。
幼いころから司祭になることを志し、プラハで神学、特に教会法を学んだ。
司祭になると、プラハ教会の主任司祭として活躍し、彼の博学と徳の高さが評判となって、人々の間に広まった。

 王の願いで、宮廷の聴罪司祭(罪の告白を聴き、ゆるしを与える務めをもつ)となる。
しかし、王の信心は表面的で、事あるごとに民に対して横暴な態度をとるので、皇后ヨハンナが王のわがままをいさめようとしたが、かえって王の怒り招き、さらに側近の讒言によって、無実の罪を着せられた。
そのとき王はヨハネに、皇后の罪の告白の内容を告げるように命令した。
しかし、ヨハネは司祭として告白で聞いたことを他言することはできないと、告白の秘密を守る義務を貫いた。そのため、ヨハネは、王から残酷な仕打ちを受けて殺された。

 1719年のヨハネの列聖調査のとき、彼の舌は腐食していなかったという。人々は彼の神に対する忠実さを賛え、聖堂に遺物として保存した。




エドウィン・モーゼスのCDを買おうかどうしようかいつも迷う、、、。


ティモシー・やきそばん・ゲーブルは、心の中で何度か「くう〜〜〜、あんたはなんで転ばんのや」と八つ当たりもしたけれども、(なにしろ御贔屓さんの目の上のなんとやらでしたから)、でもティムは憎めなかった。
試合の朝、街中をふつーにプラップラしているところも好きだったし、エッジカバーをつけたままリンクに上がってしまってすってんころりんしたところも可愛かった。
posted by おロシア人 at 10:09| Comment(0) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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